6月 親力プログラムin東京
本日は 親力プログラム in 東京
テーマは
「親切」「観の見直し」
「母性、父性の役割」
そのまとめ です
親切ひとつで 人生が片付きます
ここで言う親切とは
親は親 自分は自分
ひとりの人間として観ることです
親子としての感情を挟まず
親がどんな人間かを観ること
そして人としての違いを知ることです
違いを知ることは 思いの外
人生をシンプルにしてゆきます
違いを知るとは 事実を知ることでもあります
事実を踏まえてこそ人生は
創りようもあります
好きでいたい子供心(希望)
好きになれない事実
(見たくない感情)
これが生理出来れば
親子の関係にある感情が生理整頓され、
結果 人生全ての感情が紐解かれ
鮮明な意識になります
仕方のないことは 仕方がないこと
人は違いがあって当たり前のこと
価値観が違うということ
弁えやケジメが明確になることなど
親切は 自分自身の人間性に
透明感が出ます
悩み 苦しみ 迷い 葛藤など
不透明さのない モヤモヤ感の
まったく無い毎日を想像できますか?
親切はそれらが一切ない世界です
コロナパンデミック?
コロナプランでミック?
コロナ茶番でミック!
コロナ騒動をどう観るのかは
それぞれの認識です
有りもしないウィルス(ウィルスは存在しない)
PCR検査キットは そもそもコロナウィルス陰性陽性を識別しない
感染症の4大原則のひとつも満たしていないコロナパンデミック
まったく効果の無いマスク
免疫力を下げてしまう消毒
歴史上 一度も効果を発揮したことのない ワクチン
そもそもウィルスとは何か?
細菌とウィルスの違い 分かりますか?
何を知り 何を知らないか
分かっていますか?
親切出来ずに 生理的欲求と希望と
不安と不満がごちゃごちゃで
親子ごっこ 家族ごっこで
情けと同情に溺れて身内根性かぶれ
では 何のために生きてるのか
本末転倒です
本人の意思だから ワクチンも仕方がないことなのでしょうか?
ワクチンを受けた人からの感染が
実は深刻です
本人だけの問題では済まされません
信じてるものが違う という問題でも済まされません
信じるかどうか とは知らない人の
議論です
知ってることは
信じる問題ではありません
信じるか 信じないかは
分からないから
分かるまでのはしごのようなものです
コロナ騒動も
マスクも ワクチンも
ソーシャルディスタンスも全て
人命や健体康心(健康)と深く関連づいています
そして 家族であってもワクチンを
接種するかしないかは
家族全員を巻き込んでいきます
ワクチンの副反応にさえ国は
保証をしません
学校の担任にマスクやワクチンについての抗議をすると
校長からの命令だと言う
校長に抗議をすると 行政命令だという
行政に抗議すると教育長からだという
教育長に抗議すると県からの命令だという
県知事に抗議すると 解答出来ないと解答する始末
責任は誰もとりません
みんながするから ワクチンをするのですか?
どれもこれも
親切が甘いから ケジメも甘い
親切がゆるいから 弁えもゆるい
コロナ騒動の今だからこそ
人生を大きく左右するテーマ、親切になります
今日は「親切」
コロナ茶番でミックバージョンにて
お届けします
乞うご期待