19671219

プロローグ

「あなたの一番古い記憶は何歳頃のものですか?」


多くの人は、3歳頃までの記憶を最も古い記憶としてあげるだろう。
普通は、それより古い記憶や、胎内記憶、生まれる前の記憶は忘れてしまうらしい。
でも、忘れてしまう前にその記憶を語る子どもたちが多くいる。
残念ながらその子どもたちも、5歳頃には忘れちゃうんだけど……。


で、僕の記憶によると、
「子どもは親を選べない」のではなく
「子どもは親を選んで生まれてくる」


ここに書かれているのは、僕の一番古い記憶からのストーリー。
嘘か本当か、フィクションかドキュメンタリーか、
あなたの心にはどう映りますか?


宇宙で、地球のデータ収集!

モニターに映る宇宙空間。
そこに地球のデータが映し出された。
ひと目でその星の情報がわかる。


あの時、見た記憶だと地球の年齢は79億歳。
天文学上では、地球は40億年前に生まれたと言っているけれど、
「79億歳、あ~まだまだこんな若い星なんだ、
文明開化してないんじゃないの?」
と思ったことを覚えている。


まだまだこれからの星、地球。
そんな地球に、どう参加しようか、ということになり、
とりあえず、地球全体の文化圏のデータを収集。


そこで映し出されたデータによると、
地球というのは、まず、北半球、南半極に分かれている。
さらには、東洋、西洋に文化圏が分かれていて、
それぞれに異なる宗教があり、
宗教の性質によって物事や文化が伝承されているようだ。


たとえば、西洋は「生まれ変わり説」がなく、
東洋は「生まれ変わり説」がある。
(まぁ、その時は、生まれるとか、生まれ変わるとか、
生まれ変わらないという意味が、
なんのことやらよくわかっていなかったけど……)
僕は、データを見て、地球での大まかなルールや仕組み、
そして、西洋の役割、東洋の役割を学んだ。


宗教観に「生まれ変わり」がない西洋の文化圏は、
「一回きりの人生しかない」ってことで、
「やるしかないでしょ!」という考えが主流になっている。
だから、とにかく、前へ前へ、
ワークワーク、ムーブムーブ!
素晴らしい行動力はあるんだけど、
その代り、人生は一回きりしかないということで、
「何でもいい」とはき違えて、暴走する人たちも多いのはデメリット。


一方、宗教観に「生まれ変わり」がある東洋の文化圏は、
今回の人生がダメだったら、来世があるさ、来世頑張ればいいさ、
と、とにかく、のんびりしている。
生まれては死んで、生まれては死んで、
何度でもチャンスがあるというのが東洋の考え方。
何度でもやり直せるというのはメリットだけど、
その代わり何度もチャンスがあるので「やらずに終わる」という人が大半。
「まぁいっか。次回で」というふうに、何度でも延期して
何もしなくなってしまうというのはデメリット。


西洋と東洋の、良い所と良い所をとって生きることが、
悟りのひとつだ。



ボケとツッコミで始まった誕生秘話!

こんなふうに、地球の仕組みを学びながら、
さて、自分はどこで生きようかと考えた。
これまで自分がはしごしてきた星のルーツから考えると、
僕は、自分のルーツに近いものを持っている東洋圏のほうがいいかもしれない。
よし、東洋文化圏に近い日本を選ぼう。


そう思った瞬間、突然、一人の女性が正座して
お祈りをしているシーンがでてきた。
(名前は「キンジョウエミコ」っていって、僕のおふくろだけど……)


僕は、火のかん(火の神様を拝むところ)の外側のパネルから
その人を観ていた。
「長男が授かるなら何でもします
(他にも、細かいことを祈っていたなぁ~)」


その話を聞いてると、そこまでこの女性が、
長男を切望、渇望しているんだったら、
「乗った、この女の希望に!」
ってことで、僕はこの人の元に生まれてスタートしようと決めた。
これで俺も地球人だぜ!


1967年12月19日
瓦屋根の琉球家屋で、産気づく女性。
そして生まれてきたのは、仮死状態の赤ちゃん。
へその緒が首に巻き付いて、紫の顔をしたチアノーゼ状態の赤ちゃん。
生まれた瞬間、泣かない赤ちゃん。
産婆さんが背中を叩いて、刺激を与えてくれて、
赤ちゃんはやっと息を吹き返し呼吸をし始めた。


そのシーンを眺めていた僕。
僕は、その赤ちゃんに向かって
「早く息をして~、頑張れ~!」
と必死に応援していた。


その時、誰かの声(神さま)で後ろからポンと突っ込まれた。
頭を叩かれ「その赤ちゃん、おまえだろ!」。
瞬間ハッとして、「???俺か、えっ!!あっ、俺っ?」
って気がついたら、赤ちゃんの中に自分が入っていた。
とても狭い中に閉じ込められた感覚で泣いていた。


これが僕の誕生秘話。
こんなふうに、どの命も自分が選んで生まれてくる
というのが、真実。


地球人として慣れるために、自らが演出!?

本当は、みんな同じ星の同じ環境からきているんだけど、
地球に住む以上、どれだけ地球人に馴染むかってことが大事。


一度地球人に染まらないと、地球人としての暮らしができないから、
結局、記憶をなくして生まれてくるんだ。
そして、あたかも地球人ですけどと、自分で自分に思い込ませる。
そう、生まれる時からの演出が大事なんだ。


自分を地球人だと思い込ませるために、
多くの人は、宇宙船から降りて、天国のような空間に行って、
三途の川をお彼岸として渡って、何とかという門をくぐって生まれてくる
という演出を行う。


こういう人たちは、生まれる前に天国にいて、地球に生まれて、
死んだらまた天国に行って、また地球に生まれてくる、
というふうに思い込む。
それが、(池川クリニック院長の池川明先生が研究されている)
胎内記憶を語る子供たちのパターンになるのだろう。


でも、それはあくまで地球人として生まれてくるための演出。
僕の記憶では、雲の上でふわふわしていた天国のような場所に
ずっといたなんてあり得ない、
ふわふわするところで、何するの? 
あんな漠然とした場所にずっといるわけがない。


僕が生まれる前にいた星は、
別の星と何も使わなくて通信ができた。
それに、目の前の人と通信なんてしない。
だって、お互いがわかっている状態で存在しているから。


その星に存在している理由は、「何を創造するか?」ということ。
たぶんこれは地球人はあまり理解できない。
地球人は「生きる」ことに必死だから。
でも、本当は、宇宙では「生きることを目的にする」なんてことは、
ありえないんだ。


宇宙からの指令で、赤ちゃんたちはトレーニングしている!?

生後6ヶ月ぐらいのとき、
床に広げたタオルケットの上で寝ていると、
(ドラゴンボールの)べジータのスカウターみたいな感じで、
ピコンピコンって伝令が入ってきた。


「なんの通信だろう?」と思ってると、
『トレーニングの時間です。寝返りのトレーニングです。
準備しなさい』という指令。
僕はその指令通り、「えいっ、えいっ、えいっ!」って、
寝返りのトレーニングを開始(これをみんなは本能って言うよ)。
でも、僕みたいに、宇宙の意識を持っている人からすると、
「そろそろ筋トレの時間だよ~」「フィットネスの時間だよ~」
って言われているような感覚がある。


『そろそろ立つトレーニング』とまた指令が入ったので、
つかみ立ちのトレーニングを始めた。
そんな感覚で、僕は寝返りをやり始め、
なんと初日には寝返りができたと思う。
僕は、体を動かすことには長けている。だって、わかってやってるから。
足なんか、「いちっ、に~、さん」って、勢いつけて寝返りしたよ。


それを見たおふくろが、
「この子、足でタイミングとるの、分かってやってるのかね~?」
って不思議そうに言う。
「分かるっちゅ~ねん。だからやってるっちゅ~ねん」
って(心の中で)突っ込む僕。


寝返りができたことは、僕にとって自慢できる初めての出来事。
快感っていうのかな、ゴルフで言うとナイスショット打ったときのような感じ。
おしっ、明日は(寝返りの)逆もやるぞ~と、やる気満々。


寝返りも面白いんだよね~。
利き足って言うのがあって、僕は左利きだから左は簡単なのに、
右ができないんだよ。
右側になんか物を置かれると寝返りができない。
だからおふくろが右側に寝ると、(おふくろが邪魔で)寝返りができない。
おふくろには左側に寝てほしくて、右側に寝るとわざと泣くんだ。


だって、しゃべれないし、泣くしかないから。
「右に寝るな~、右に寝るな~、右に寝るなよ~、お願いだから」
って泣く。
「お前はすぐに寝れるけど、俺は寝れんば~よ~Z(寝れないよ~)」って。


寝返りができるようになると、
ちょっとずつ進んで今まで行けなかったところへ行けるようになる。
そう、探検ができる!
だから母に右側に寝られると困るんだ。



寝返りで悟った「人を変えるより、自分が変わればいい!」

この寝返り作戦のとき、初めてのインスピレーションがあった。
それは、
「暗闇を呪うより明かり(ろうそく)を灯せ」


暗い暗いってなげくよりも、
明かりをつければ明るくなるでしょ。という格言。


おふくろが左側に寝ればいいのにっていうのは、おふくろの問題なんだけど、
僕が右にも(寝返りを)できるようになっていればいいんだ。
そうすれば、おふくろが右に寝ても、左に寝ても
「いいよ~どこに寝ても~」って思えるようになる。


左側に寝ないおふくろを嘆くより、
僕が右にも寝返りできるようになればいいんだ。
「あっ、俺の問題かぁ」
やっと気づく、自分の問題だったって。


そこで、再びトレーニング開始。
もう左はできるから、右ばかり寝返りの練習をがんばり始めた僕。
これが「暗闇を呪うより明かり(ろうそく)を灯せ」って意味でしょ?
人を変えるより自分が変わる方が早いっていうコツもこのときに覚えた。


乳首カムカム

うちのおふくろは正義感の塊。
っていうか、すごいうるさくて、厳しくて、年中怒っている人だった。


でも赤ちゃんを抱っこしてる時だけは機嫌が良かった。
自分の自慢の赤ちゃん、って自慢げに人に話すことも多くて、
よく隣近所のおばちゃんなんかと、
赤ちゃん(僕)を抱っこしながらいろんなおしゃべりをしてるんだけど、
「上の子(姉達)はよくミルクを飲んだんだけど、
この子はミルク飲まないさ~、心配さ~」って言うから、
乳首を思いっきり噛んでやった。


だって、この距離(腕で抱っこしてるお母さんの口と赤ちゃんの耳は至近距離)だよ。
おっぱい飲みながらだと、この距離におふくろの口があるんだよ。
しゃべってること、耳にダイレクトだよ。


「この子ミルク飲まないのよ~」っていうから、
僕は「はぁ~??、飲んでるっちゅ~ねん」って思って、
イラっとして乳首を噛む。
すると、おふくろは(乳首を噛まれて)「アイタっ」ってなる。


僕は心の中で
「いいばーやさ(ざまあみろ)」「しょっちゅう人の文句言うからさ」
って思うんだけど、言葉が分からないから言葉が出ない。
だから、「あ~あ~あ~あ~」っていうと、
「この子ミルクあげてるときしょっちゅうむずがるのよね~」って、おふくろ。
「はぁ? 俺か~? むずがってるのは? 腹立つ~」みたいな感じ。


単にむずがっているわけではないんだ。
(市販の)ミルクは薬の味がするから嫌い。
あっ、絶対これ何か混ざってるなってわかるから。
でもそれよりも、哺乳瓶の乳首の部分、
あれが今みたいにシリコンじゃなくてゴムだったから
あのゴム加えた瞬間、気分悪くなる。


だから哺乳瓶をくわえた瞬間に、嫌がって離すんだけど、
おふくろは「飲みなさい」って僕の口へ入れてくる。
おふくろがミルクを飲ませるのは、おっぱいが出なくなったからではない。
母乳を飲ませている間は自分のことは何もできない、って考える人だから、
断乳させるってことで哺乳瓶に(市販の)ミルクを入れて飲ませているんだ。
まったく、(母乳)出るくせに、ケチくさい女だな~。


おふくろはこう言う。
「洗濯も干せないわけ~、ミルク飲むの時間かかるから~」
話せない僕は
「じゃ、死のうか~? 餓死して。悪かったね~」
「いちいち文句言わんと気がすまないの?」
「なんか教育上、悪いこと言ってるなぁ~この人」
「これ、俺だからいいけど、教育にナンセンスだよ~」
「大丈夫かよ、まずは健全な心から身につけろよ~」とか思いながら、
「どうやったら哺乳瓶をくわえないで済むか?」ってことを考える。


口に入れられると「ベー」って出すけど、赤ちゃんの力では抵抗できない。
口に入ると、気分が悪くなるから「どうしよう?どうしよう?」って
思うんだけど、手を動かそうとしても手が言うことを利かない。
神経回路がつながってないから、手の動きをコントロールできなくて、
哺乳瓶をつかもうとしても、手が頭へいったりする。


「この手なんよ~(何なの)?」
「ちゃんと言うこときけ~」と僕は必死に動かす。
接触不良してるリモコンを、パンパンってたたく感じ。
そんな感じで手をコントロールできるようにトレーニングしたんだ。



意地でも母乳を獲得!

1ヶ月ぐらいたたないうちに哺乳瓶を(手で)つかむってことが
できるようになった僕。
そうするとおふくろが
「この子、生後間もないのにもう哺乳瓶つかむわけさ~」って自慢げに言う。
僕は「トレーニングしたわ」って、心で突っ込む。


おふくろは、赤ちゃんが哺乳瓶をつかむ姿を見るのが面白くて、
哺乳瓶を持つ手を放してくれる。
僕が哺乳瓶をつかむと、おふくろは「あっ(つかんだ)」と思って哺乳瓶を放す。
僕は「上手だろ~?上手だろ~?」と哺乳瓶をつかんで見せる。


そして、おふくろが(哺乳瓶)から目をそらした瞬間、
おしゃべりしているおばさんに目が行った瞬間に、
コンクリートに(哺乳瓶を)ポイっと投げ捨てる。
昔の哺乳瓶はプラスチックじゃなくて、ガラス瓶だからね。
僕は「イェーイ」と大喜び!


そしたら、おふくろが、
「この子の手を離したら、哺乳瓶を割るからね~、
もう手を離さないでおこう~」
とか言うもんだから、
僕は「大丈夫、大丈夫」って手を動かしてアピール。
そして、おふくろが哺乳瓶から手を離したすきに、
またすぐ哺乳瓶を捨てる~ってね。
こんなふうに、何度も何度も繰り返して哺乳瓶を割った。


とうとうおふくろもあきらめて、
「この子母乳しか飲まないから~、母乳にするわ~」って言った。
僕は「最初っからそうしれや~」って心の中で突っ込む。
これで僕はミルクから卒業。
無事に母乳を獲得!


でも、面倒くさがって断乳しようとしたおふくろに、執行猶予期間を設けた。
(ちゃんと再犯しないって期間があってじゃないと
この人<母>は信用できんなって思ったから)
執行猶予3年。
石の上にも3年って言うじゃない?
だから、3年間、「マーマ、おっぱい」って言ったよ。4歳まで。


まっ、僕が飲みたかったわけじゃないけど。
「この子4歳になっても母乳飲むのよ~」って母が言う。
僕は「何言ってんの? 執行猶予期間だからな」って思いながらおふくろに言う。
「マーマ、おっぱい」



猫に負けないために繰り広げられた攻防戦

寝返りも左右にできるようになり、ハイハイで行動範囲も広くなった僕。
その頃思ったのは、
大人の歩くスピードって、すごい早いな~ってこと。


ハイハイの時の目線って(床から)わずか数センチだからね。
見えてる世界、全部がソファーの下。
ちょっとびっくりしたのが、猫とさえ目線が合わない。
猫より低い低い。
そんな僕の目線の高さ。


猫が遠くから歩いてきて、
「はぁん」と(なめたような感じ)で見てくる。
僕は悔しがる。
だって(猫は僕よりも)目線が高いから。
「イライラするあいつ~」って。


なんとかあいつの目線に追いつきたい。
猫って毎日の習慣で、おんなじ道をおんなじ時間に通る。
だから僕は猫がくる度に、
「う~う~う~」って、必死に目線を高くなるように
上体を上げて目線の高さを競うんだ。


でも、「あっ、猫がまだ高い」ってわかるとガッカリ。
初めて、大猫と子猫の中間ぐらいの大きさの猫が通った時に、
猫と目線が合って、
僕は「あいっ」って見つめる。
向こうも「あぁ」ってこっちを見ている。
目線一緒~って、思ったことを覚えてる。


目線が同じだとこんなに嬉しいんだ!
だから僕は、娘たちを育てる時に、
娘たちが寝返りをすると、自分もうつ伏せになって床にアゴを置いて
「うつ伏せ面白いでしょ~? 寝返り面白いでしょ~?」って
目線を合わせてやってたよ。


だって、(赤ちゃんの)気持ちが分かるから。
あの時、猫と目線が合ったのが嬉しかったよな~って。
猫から教わったから。


僕は、猫と目線があって以来、ハイハイして座るってことを覚えたよ。
ニャーって猫が隣を通る瞬間に「ほらっ」って、ドヤ顔で。
猫も「うわっ、目線変わってる」ってビビリ顔。
僕は「イェーイ!」って感じ。


これが、生後6~8カ月ぐらいだったかな。
寝返りとか、ハイハイとか、座るとかって、
おふくろから自立してるって感じ。
自分もできる! 自分ができる! っていう自立。



照れる感覚を教えてくれたつかみ立ち

座れるようになったら、次はつかみ立ち。
初めてのつかみ立ちって、テーブルに手を置いて支えながら、
ようやく立つことができる感じ。
すると、向こう側に移動したくなった僕。
でも、どうやって移動したらいいか最初はわからない。


向こうに、向こうに、向こうにってなっていると、
またスカウターに伝令が入ってきた。
(スカウターって言っても自分の中で起こるんだけどね)
僕は、あっちに行きたいって思いばかりで、
あっちに意識が行っていたんだけど、
そうじゃなくて、「自分の体に命令せい」って
指令がきた。
「あっちに行くには、自分に命令しなさい」ってね。
「俺? あっ、俺か?」って分かった瞬間に、足が動きだす。
少しずつ移動してる自分。わずか3歩ぐらい歩いてドヤ顔の自分。


そうやってつかみ立ちがだんだん習慣づいてきて、
何週間かして板についてきた頃。
家族団らんでテーブルを囲んでいた時、
おふくろが、姉に「ティッシュとって」って言った。
それを聞いた僕が
「おっ!(ティッシュに)手が届くっ」って思い、
(母に)はいってティッシュの箱を渡してあげた。
母が「ありがとね~・・・ん??」って顔をする。
僕を見て
「え? この子ティッシュって分かるのかね?」って不思議そうに言う。
(家族は)「は?(まさか~)」って。
僕としたら「分かりますけど~」って感じなんだけど。


もちろん、言葉は出ないから、「えっ、えっ、えっ」って声になっている。
すると、「この子、会話してるのかね~?」っておふくろ。
「会話じゃなきゃ、なんなの?」って思うんだけど、
赤ちゃんの僕がいくら声をあげても、ただの泣き声、むずかり声になって
何にも通じない。


こうして、ティッシュをとったら
「この子ティッシュ分かるのかね?」って
家族中話題になってしまった。
家族は「もう1回やってみようよ」って言い出す。
そして、姉が僕に「ティッシュとって」という。
僕は「そんなにティッシュ使わんだろ?」と不思議に思いながらも、
言われた通り取ってあげる。


すると、母も姉もみんなが喜ぶ。
みんなの喜ぶ顔はとても嬉しい。
嬉しいから、何度もティッシュを取っちゃう。
みんなが「すごいねー」って僕を見る。


喜ぶ顔を見ると嬉しいけど、とっても恥ずかしい。
自分(の頬)がバーッと赤くなっていくのがわかるくらい恥ずかしい。
僕は「もうやらん」ってずっと固まったまま聞かないふりをする。
みんなが僕から意識を外すまでずっと。


「あっ、やっと意識外してくれた」ってわかると安心する。
でもまた、誰かが「はい、これ取ってみて~」って言い出すから、
僕は「もう照れるからやらない」って聞こえないふりをする。
それでもさせたい姉たちは、「はい、見てないよ~」って、
わざと僕から目線を外すフリをする。
意識を外したら、僕はティッシュを取るって知ってるから。


(わざとみんなは)「見てないよ~」って言う。
そしたら、僕も「見てないの?」ってみんなをパッて見る。
「あっ、本当に見てない。見てない」って確認して、
それなら、「はい」って、ティッシュの箱を寄せてあげる。


そんな僕を(みんなが)パッと見て
「やっぱり寄せてる~」って喜ぶ。
みんなが「偉いね~」って褒めるから、
僕はまたパーっと赤くなって「もうやらない」って固まる。


家族はまた「これできる?~」って
ティッシュの箱を僕に渡して背中を向ける。
僕はまた「見てないんだったらじゃあ」って寄せる。この繰り返し。


僕もバカだから、人の嬉しい顔見ると動いちゃうわけ。
あ~人の本質ってすごいなぁ~って。
人って喜ぶ顔見て、行動するんだな~って。
素晴らしい創りだな~人間って。


人の本質の素晴らしさと、照れちゃう感覚を知ったつかみ立ち。
実は、今でも照れるって感覚には慣れないままなんだけどね。


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